Determination|決意が導いた、デナリ頂上とその先

2025年6月11日。北米大陸最高峰であるデナリ(6190メートル)に、マウンテンハードウェアのサポートで森亜希子が登頂。さらに女性初となる山頂からのスノーボード滑走を達成した。森を副隊長とする9名のパーティーが挑んだデナリ遠征、その壮絶・壮大なストーリーをお届けしよう。


沖縄県出身のスノーボーダー・森亜希子

現在、白馬エリアを中心にスノーボードガイドとして活動する森亜希子。出身地は、雪とはなかなか縁のない沖縄県だ。転機は高校生の頃。埼玉県に引っ越しフィールドが近くなったこと、さらにスノーボードをしていた兄の影響もあり、雪の世界へ。

スノーボードに没頭した森は、オリンピック出場を目指しトレーニングを重ね、大会を転戦するようになる。

「20代は怪我に悩まされて、そのうち6年間は手術とリハビリの繰り返しでした。28歳でプロに昇格、日本代表候補選手として強化合宿にスポンサー推薦で参加するなど、日本代表入りを目指して活動していましたが、30代でガイドに転向しました。」。


北米最高峰の山・デナリへのいざない

森にとって「デナリはずっと憧れの山」だったという。デナリ遠征の機会は幾度もあった。しかし知識的にも技術的にも「まだ無理かな」となかなか足を踏み出せないでいた。あるとき、夏の富士山ガイドをしているときに、友人で同じくガイドの児玉壮汰から「デナリに行こう」と声をかけられた。「スノーボードで山頂から滑走した女性はまだいない」という言葉でデナリ熱が再燃。スノーボーダーとしてのキャリアの集大成として、デナリへの挑戦が頭のなかで大きくなっていった。

森にとってデナリ遠征の大きな懸念は、装備が非常に重いことだった。デナリにはネパールのシェルパのような歩荷がいない。そのためメンバーそれぞれが50kg近い装備と食料をソリで運ばなければならないのだ。

▲キャンプ1~3へのアプローチでスキーヒルを登る。装備重量は約50kg。

身体的負荷が大きすぎることから先輩にも無理だと言われたこともあったという。しかし夏山で歩荷トレーニングを重ね、山の知識が増えてくるうちに可能性が見えてきた。

「当時、36歳でした。体力的にも最後のチャンスかなとも思っていたのですが、その後にコロナ禍になってしまい、計画は延期。モチベーションを維持するのが難しかったですね」。

計画がふたたび持ち上がったのが2024年。以前の計画では隊長を務める予定だったデナリ遠征のエキスパートである大蔵喜福氏も年齢を理由に参加を取りやめた。そこでデナリ経験者である児玉壮汰氏をリーダーにチームが組まれることになった。サブリーダーは森だ。

「もともと連れて行ってもらうみたいな感覚だったので、まさか自分が連れていく側になるとは思ってもいませんでした。でもきっとこれがラストチャンス。すぐにトレーニングを再開し、メンバー集めをはじめました」。

白馬のガイドの先輩や後輩、森と一緒に働くスタッフも巻き込み、2025年にデナリ登頂・滑走を目指す遠征隊が構成された。メンバーが集まり、チームでのリスクマネジメントやロープワーク技術を磨いた。


デナリを目指して進む

森のチームがデナリ遠征にあてた日数は21日。一般的な遠征期間は2週間ほどであるため、10日ほど長い。その理由を森は、「リーダーの児玉壮汰が、30年以上もデナリで遠征隊を率いてきた登山家・大蔵喜福氏の隊に参加した経験があり、登頂率を上げるために、どんなに天気がよくてもレスト日と高度順応の時間を長めに確保する戦略をとっており、私たちの遠征でも長めの日程を組みました。しかし、滞在・停滞する分の食料を担ぎ上げないとならなかったので、装備が重かった」と森は振り返る。

▲アンカレッジからバンでタルキートナに到着。装備を降ろしているところ。

こうしてはじまったデナリ遠征。5月16日にアラスカ、アンカレッジに到着。食料や装備の購入を済ませ、翌日には先発隊が拠点となるタルキートナへ移動した。そして翌日、セスナに乗り、ベースキャンプへと向かった。

「ここから最終キャンプまでは10日ぐらいかけて登っていきました。標高が高いので、低酸素高山病になりやすい。そのため時間をかけて高地順応しながら標高を上げる必要があります。

▲タルキートナセスナでランディングポイントへ。ベースキャンプにはレンジャーステーションがある。

ベースとなるランディングポイントに到着したのが夕方。テントを張って泊まり、翌日にキャンプ1に移動、次の日にキャンプ3と2の間に荷物をテポして戻り、キャンプ1に戻り、次の日にキャンプ3に引っ越すという感じで、荷物を上げながら高度順応をしていきました」。

最終キャンプの標高は5000メートル。キャンプごとに1000メートルずつ上がっていく。

「デナリ遠征のメンバーには、富士山以上の標高を経験したことのない者もいたため、高度順応ができるかが鍵でした。結果としては、ゆっくり行けば大丈夫ではあったのですが、私がキャンプ4に入ったところで調子を崩し、足が進まなくなってしまいました。翌日も全身がむくみ、高山病の症状が出てしまいました。高山病の薬であるダイアモックスを飲み、しっかりレストすることで症状は和らぎました」。

▲ランディングポイントからカルピトナル氷河を歩き、キャンプ1へ。


山頂、そして女性初となる滑走へ

そして最終キャンプ。山頂へのアタックを目の前にして天候に恵まれず、2週間の停滞となった。

「実は停滞のときに2回アタックできるチャンスがありました。そのうちの1日が、午前中は風が強いのですが夜には止む、というような日でした。チャンスだったのですが、夜に気温がグンと下がるのが懸念となっていました。そんなコンディションでアタックするのはリスクがある。もし、ふたたびストームが来たら撤退する確率が高くなってしまう」。

アタック日の決定にはかなりシビアになったという森。天気予報がずれ込むことで停滞する日が長引いていった。

▲2週間停滞していたキャンプ4(標高4300m)からの眺め。

「私たちには時間があるから待てる。待つのはしんどかったのですが、待てるだけ待って、一番条件がいい最終日にアタックしようという判断になりました」。

しかし、2週間も停滞しているとメンバーのストレスも強くなっていく。もう嫌だ、早く降りたいというメンバーの声もあったという。

「話し合いですね。個人の意見も、全員が包み隠さず言えたのもよかったです」。

▲キャンプ3に向かうスキーヒルでのカット。氷河に囲まれた圧倒的な景色を歩く。

そしてついにアタックの日。最終キャンプを出発し、デナリ山頂を目指して登っていく。キャンプでの滞在が長かったこともありしっかり高度に順応できていたのだが、標高5000メートルを超えると、高度の影響でメンバーの息が上がりはじめた。ペースは落ち、予定タイムから遅れていった。

「なんとか登っていったのですが、デナリパスを越えたところから先で足が動かなくなった。パーティーからどんどん遅れていくなかで、メンバーに励まされながら少しずつ進んでいきました」。

しかし、隊長の児玉壮汰から冷静な判断が下される。

「ここで荷物を全部置いて行けと言われたんです。滑りたいから登っているのに、ここに置いていくのはすごく嫌だった。でも隊長の命令は絶対。自分で誓約書を作って、みんなにサインをさせたこともあり、言うことは聞かなければならない。悔しいという言葉では言い表せないくらいの気持ちを抱えながらでしたが、結果として全員でデナリに登頂することができました」。

しかし、山頂に立った森は喜ぶことよりも、滑走できなかった辛さを感じていた。なんのためにデナリに来たのか。そんななか、メンバーのけんてぃ(鈴木賢斗)が、担ぎ上げてきた自分の板を森に譲ると申し出たのだ。「僕が滑るより森さんが滑った方がいい」と。

板を手にした森は、山頂からの滑走に挑む。シュカブラのアイスバーン。2ターンしたところで息がつづかず倒れ込んだ。

「滑ったというより、ほぼ滑落ですね。ピークからハイキャンプまでは雪質はずっと硬くて、雪がよかったのは、キャンプ2と3の間くらい。気持ちよく滑れるコンディションではなかった。山頂にはチームの力で持ち上げてもらって、板も譲ってくれて。メンバーがいなかったらここにはいなかった」。

山頂から滑走しながら頭のなかにあったのは、全員が無事に下山することだった。

「下山は、ガイドをしてても一番事故が多いところ。気を抜いたらえらいことになるぞと思いながら、気を引き締める方が大きかったかもしれないですね。もうちょっと頑張らなきゃっていう気持ちでした」。

▲キャンプ3から4へ荷上げ後、ウインディーコーナーに向かう途中のモーターサイクルヒルの間を滑る。


トラブルつづきの下山

登頂、滑走の喜びも束の間。ベースキャンプを目指す下山では、タフな状況に見舞われた。滑走しようと考えていたレスキューガリーでは、前日に雪崩が起こり2名が亡くなっていた。雪が落ちているため氷が露出しているコンディションで、100リットルもの装備を担いで滑ることは難しい。

そのため60メートルのロープで3回ロープダウンを行い下降。想定以上の時間を要してしまった。さらにバッグがクレバスに落ち散乱。回収に手間取ったり、スキーを流してしまったりとトラブルがつづいた。

「帰りに乗るセスナのリミットもあったので、かなり慌しかったですね。しかも、仲間がクレバスに滑落してしまい、夜中まで救出作業を行いました。クレバスから出た時は抱き合いました。」。

先行隊がキャンプ2にテントを張って、そこに到着したのが4時頃。休憩を取っていると後方隊のメンバーが合流しました。私は体力的に難しかったのですが、そのままキャンプ1まで行きました。到着したのは午前5時。デポした荷物を掘り起こし、疲れて穴の横でくの字になって寝落ちしてしまいました。午前7時まで仮眠して、ランディングポイントまで歩きました」。

森自身も、ストックが折れて両方とも使えない。スノーボードの歩行で使用するシールもひとつを紛失し、半分に切ってスキーバンドで巻いて歩いた。

「みんなが生きててよかったなっていう感じですね。トラブルだらけで、もう二度とロープなんて触りたくないぐらいロープワークをしていました。でも、登山の経験が豊富な玄人がいない若いメンバーのパーティーだったので、先輩たちからは『絶対登れない』とずっと言われていました。でも全員で登頂できました」。

▲ベースキャンプ入りした初日。ランディングポイントでのはじめての食事。

森にとって、登頂と山頂からの滑走は大きな達成感のあるものであった。しかし下山後に感じたのは、「仲のいい親友ができた」というチームワークから生まれた絆であった。

「全員が一緒に登れたことが大きい。24日間にわたって行動をともにし、命の危険と直面しながらも帰ってくることができました。実は、自分には人をまとめる力はないと思っていたんです。でも、うまくいったのかなって。信頼できるチームができたのが何より嬉しかったですね」。



遠征を終えて|スノーボード人生をかけたデナリ滑走

海外遠征、ましてや行動の全てを自力で完結しなければならないデナリへの挑戦は、タフという言葉では括れないほどの、まさに試練とも言える行為だ。身を、心を削りながらもデナリを目指した森を突き動かすものはなんだったのだろうか。

「アラスカはいろんなスノーボーダーが滑っています。私にはそんな滑走技術もないし、膝を6回も手術してるから無理もできない。でも、スノーボーダーとして私にしかできないことに挑戦したかった。私は、自分で板を担いで登って滑ることができる。これが私なんだと、チャレンジしました。ダサくてもいい。デナリにトライした日本人がいてもいいんじゃないかなって」。

▲ランディングポイントにて。何年もかけてようやくデナリに入れた喜びを感じる。

40代になり、体力の低下を感じるようになったという森。ずっと楽しみにしていた国内の長期遠征が、だんだんと億劫になっていった。

「これはまずい、老けたんだなって思っちゃって。どんどん体力的にも気力的にも弱っていく。30代とは全然違って、がむしゃらに知らない山を毎日休みがあれば登りに行くことはできない。でも、こんなんで山やってたら楽しくなくなっちゃう。だったら、しっかり休んでから動けばいい。意識が変わってきました」。

そんな森を支えたのが仲間だった。

「年齢による焦りは感じていたのですが、そのことをしっかり口に出して仲間に知ってもらう。そうすると、手伝ってくれたり、トレーニングに付き合ってくれたり、周りが『森ちゃん頑張れ』って応援してくれた。ここでもみんなに助けられながら、目標に向かっていくことができたんだと思います」。

デナリ遠征を振り返り、森は「挑戦する人が増えたら」と話す。

「スノーボードの業界ってすごく狭い。ましてやガイドになりたい女性のスノーボーダーも、いまはほとんどいない。だからこそ、山のことを少しでも多くの人に届けたい。遠征に挑戦すること、仲間との絆の素晴らしさを、もっと伝えていきたいんです」。

▲セスナに搭乗する前。タルキートナエアタクシーの倉庫で装備を整理した。



森の活動を支えるマウンテンハードウェア

マイナス20℃を下回る過酷な環境での行動を支えるウェア、デナリ山頂への登攀、そして滑走のためのスノーボードやクライミングギアのほか、食料など総重量は50kgを超えた。そのなかでも森の活動を支えた重要なアイテムをレビューする。



「AMG™ 105 Backpack」

「日本国内では75リットルモデルが販売されていますが、さらに容量が必要だったため105Lモデルをアメリカから取り寄せました。ヒップベルトにカラビナをかけるループが配置されていて、ソリと連結して牽引できるなど、極地遠征を想定した仕様になっています。フロントポケットにはスコップやシールなどを突っ込めて便利でした。生地がしっかりしていて耐久性が高く、かなりハードに使いましたが壊れることはありませんでした。現地のガイドや登山者も使っていたのが印象的でした」。



「Expedition Duffel™ 140」

こちらも日本では展開していない140リットルモデルです。エクスペディション用で、素材も丈夫なものを使用しています。基本的にはソリの上に乗せて牽引していました。食料など重量のある装備を入れていました。食料とギアを分けて収納できる設計で、サイドポケットなど使い勝手もよかったです。



「Mythogen GORE-TEX PRO Jacket」

「GORE-TEX ePE PROを使用したバックカントリー向けのシェルジャケットとビブパンツです。ポケットの配置がバックパックのハーネスと干渉しない位置にあったり、軽量化されていたりと、山での使用を考えられています。ハイクアップではどうしても汗をかいてしまいますが、GORE-TEX ePE PROの透湿性が効果を発揮しました。国内でのスノーボードでも活躍してくれる一着です」。



「Women's Kor AirShell™ Warm Hoody」

「防風性と通気性のあるPertex QuantumAirに、保温性のあるオクタの裏地を合わせたインサレーションジャケットです。キャンプ4以降は行動中に着用しました。しっかり保温してくれるのですが、通気もいいので汗ムレに悩まされることなく快適でした。国内でも、バックカントリーツアーではいつも着ています」。



「Kor AirShell™ Hybrid Hooded Jacket」

「軽量なウインドシェルです。キャンプ1~3では、休憩時や朝や夕方など日が影って寒さを感じたときに着用していました。国内では夏でも冬でも、オールシーズン使っています。コンパクトに収納できるのでバックパックにいつも入っています」。



「Sunblocker™ Hoody」

「ポリエステル製の化繊素材フーディーです。以前にデナリに行った方から、化繊素材のUVカット機能のある長袖のフーディーがいいと聞いて使用しました。ウールの方が匂わない印象がありますが、デナリは気温が低く乾燥しているため、化繊素材でも匂いが気になることはありませんでした。キャンプ4までは、これ一着で登っていました。日差しが強いので肌を覆いながら暑さを凌げるフーディーは必須でした」。

森が使用した装備はどれも、「遠征」の特殊性を表すものだ。一方で、国内でのバックカントリーでも使用し、活躍するアイテムも多かった。マウンテンハードウェアのウェアやギアが、デナリという極地とも言える場所で活躍する性能を備えながらも、さまざまなフィールドにも対応する汎用性も兼ね備えていることがわかる。これからもマウンテンハードウェアは、森の活動のみならず、挑戦をつづけるすべての人たちを支えていく。