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Interview

#03INTERVIEW(2/3) スノーボーダーとして生きたいと

「念願のスノーボードのプロ資格を得て初めて気がついたのは、
プロになっても何も変わらない状況でした」

18歳まで野球ひと筋でした。高校は埼玉県にある進学校で、部員が120人もいる野球の強豪校でした。外野手だった僕は、2年の最初の頃だけレギュラーになり、3年の最後は背番号20番でベンチに入って終わりました。

高校卒業後は野球の道で将来があるわけでもなく、家の状況を思えば進学も難しい。それでも、何かスポーツだけは続けていきたいという気持ちはありました。そんな時に、たまたまコンビニで立ち読みした雑誌に、スノーボード界のレジェンド、ブライアン・イグチが載っていたんです。それがすごくカッコ良くて、その瞬間、自分もスノーボードのプロになりたいと思ったんです。

ある時、父と進路についての話になり、思い切って「実は俺、スノーボードのプロというものになってみたい」という話をしたんです。叱られると思ったら、「お前がやりたいのならいいんじゃないか」と。「そのかわり、援助は一切できないから自分で生きていけ。大学に入ったつもりで4年間やって、それで結果が出なかったら、そこできっぱり辞めろ」と。やった! と思いましたね。

その気持ちと勢いのまま、高校の進路相談の場でも「プロスノーボーダーになります」と言ったら、担任の先生は非常に困った顔をされました。当たり前ですよね(笑)。進路が決まっていないと卒業できない学校だったのですが、それでもフランクでいい先生でしたから、いろいろと融通を利かせてくれて、無事に高校を卒業することができました。

最初は父のツテで栂池高原のロッジに住み込みで働かせていただきました。一度もスノーボードを履いたことがなかったにも関わらず、プロのスノーボーダーになるという意欲だけは満々で、まだ雪のない5月から栂池に行って、水田や畑仕事を手伝いながら、その合間に雑誌の見よう見まねで軽トラックの荷台からスピンしながらジャンプしたりしていました(笑)。

冬になって雪が降ると、スキー場のオープン日を待ちきれずに、真っ暗な中を一人で歩いて登って滑っていた記憶があります。どうしたら上手くなれるかもわからず、今のように技術論も確立していませんでした。とにかく雑誌をよく読んで写真でイメージを作って、あとはひたすらがむしゃらに滑っていました。

最初のシーズンが終わった春からは、やはり父のツテで立山の雷鳥沢ヒュッテに入って立山暮らしが始まりました。栂池で農作業してる場合じゃないと思ったもので(笑)。当時はジャンプでプロ資格を得る姿を思い描いていたので、フリーランもせずにキッカーを作ってひたすらジャンプです。

ハーフパイプの大会に出たのは18歳、最初の年からです。19歳くらいでぽんぽんと成績が出て「俺って天才?」って。完全に過信ですよね。野球でうまくいかなかったこともあったから、「ああやっと見つけた」と有頂天でした。それから22歳くらいまでには全日本選手権にも出場して、スポンサーもついて、「父ちゃん、俺、けっこうイケるかも」と思った矢先に、怪我をしました。

当時は「やってやるぜ」という勢いだけで、まだ自分の体をコンディションニングする発想もなく、考えながらトレーニングしたりストレッチしたりすることも一切やっていなかったので当然の結果です。そこからは勝てなくなり、まるまる5年もの間、予選落ちを繰り返しました。

25歳のときに、これは考え方を改めなきゃいけない時期に来ていると思い直して、一人でアメリカのブリッケンリッジに向いました。ツテもなく誰にも頼らず、25万円だけを握りしめて1ヶ月半。そこでの出会いやいくつものミラクルに助けられながら生まれ変わったようになり、そこからは少しずつ成績が出始めて、27歳でプロ資格を取得したんです。

18歳でスノーボードを始めた頃から見続けてきた夢、念願のスノーボードプロ資格を得て理解したのは、プロになっても何ひとつ変わらない状況でした。競技の賞金やスポンサーフィーで暮らしていけるのは、ほんとにトップの何人かですし、多くの人はプロといっても、自分で考えて自分で生計を立てていかなければならない。それで1シーズンだけコンペに出たんですが、僕にはプロというものがわからなくなってしまいました。

では、どうしたらいいのだろうと思った時に、頭に浮かんだのが立山でした。そうだ、もう一度立山に行ってみようと。そこでバックカントリーに目覚めました。そしてプロ活動を辞めて富山の「ランプジャック」というショップのスタッフになりました。このままでは社会復帰ができなくなる。30歳にもなって社会も知らずに、俺は一体どうなるんだろうと思ったんですよね。

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PROFILE

水間大輔

水間大輔

みずまだいすけ◎1978年、富山市生まれ。ハーフパイプ競技でのスノーボードプロ活動を経て、富山県立山山麓をベースにバックカントリーフィールドで活動中。奥深い剱岳や、立山での長期間に及ぶテント泊で活動を続けた成果を発信しつつ、立山でのスノーボードガイドとして生きていく道を選んだ。3シーズンのテールガイド経験を経た現在、日本山岳ガイド協会認定スキーガイドステージII資格の取得を目指している。

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